会社のトイレっていつウンコすればいいん?

外では大ができないなどという人間もいるらしいが、どうやってコントロールをしているのだろうか。「ウンコが肛門付近まで来ないように筋肉総動員で止めなければならない」という洗脳を自らに課すのか?

うちの事務所は僅か3名から構成されている弱小チームなので、当然トイレなど複数あるわけもない。そのため入れ替わり立ち替わりで排泄物を垂れ流しているわけだが、その循環に当然"大"も紛れ込んでくる。その"大"をするタイミングが問題なわけだ。前日に肉を食った時の大をした5分後くらいにトイレに行かれた時は、「絶対に・・・・・息を・・・・・するな!!!!!!」などの念力を込めているが、そもそもどうしようもない身体の仕組みからなる排泄物の匂いをこちらが気にせねばならんのもなんなの???知らんがな

 

ドライブスルーゴールイン

 

 

「ラスベガスってさ、ドライブスルーで結婚できるらしいよ。」

 

柔らかい陽光が仄かにさすリビングで、何ともなしに隣の男が呟いた。飲みかけのアイスコーヒーは氷が殆ど溶けかかり、コップが汗でびっしょりになっている。啓司は水滴が他に落ちないようにティッシュで手早く周りを拭き、分離した茶色と透明をクルクル掻き回しながら、ズズ、と薄くなった液体を吸い上げた。

 

「この芸人まじ久々に見たわ。」

「あー、なんかやらかしてなかった?」

「そうなん? 芸能俺より詳しくない人間が知ってんの珍し。」

「結構話題になってたし。ニュース見てたら分かるわ。」

「へー。…てかさっきのまじ?」

「え、今?」

 

後ろのソファから呆れたような声がした。特に何も返さず、繰り返し流れる色とりどりのCMをぼんやりと見つめる。防虫用品の宣伝がちらほら混じってきた事にウンザリしていると、さっきからスマホをポチポチしていた洋平が突然目の前に画面を突き出してきた。

 

「ん。あゆもブリちゃんもやってるぽい。ドライブスルーかは知らんけど。」

「…えー、すご。てかあゆラスベガスで結婚してたの、ぽすぎん?」

「わかる。」

 

赤、白、青、ピンク、黄、スポーツカー。画面いっぱいに広がる幸せの代名詞が、網膜を刺激する。さっきのCMとはまた違った意味で、少々うんざりする。うんざりというか、胃もたれというか。

 

「洋平はさ、これ見てどう思う?」

「まぁ、ふつーに幸せそうだなーって。」

「てかさぁ、ラスベガスで結婚式できる時点で勝ち組だろ。」

「それはそうだけど。まぁでも一つあるのは、なんでドライブスルーでしようと思った? っていう。」

「それ言ったら終わりだろ。」

「いやだって、そこら辺の結婚式場でも出来んのに、なんでわざわざ? もしかしたらその人達なりの浪漫だったとしても、ドライブスルーの浪漫ってなに?」

「わかんねーよ。経験したら、『今までしてきた人の気持ちが分かった…!』ってなる可能性もあるし。」

「100ないわ。」

 

そもそもドライブスルーで結婚する為にラスベガスへ行くということ自体、あまりにも現実味がなさすぎるのだが。啓司は残りのコーヒーを呆気なく吸い込み、パンくずの乗った平皿と一緒にシンクへ持っていく。洋平の皿にはパンの耳が乗っていたのでそのままにしておく。いつも耳だけ残して、俺はまだ食べ終えてないと暗に主張するのだ。啓司は洋平のそういう変に意固地な所が、案外嫌いではなかった。

 

「啓司はさ、どう思ったわけ?」

 

洗い桶に新しく水を入れていると、背後から洋平が聞いてきた。夏場は食器を溜めているとすぐに虫が湧くのでこまめに洗うように気をつけなければならない。今しがた使用した食器を泡まみれにしながら、さっきの画像を思い返してみる。

 

「とりあえず、羨ましいっていうのはある。」

「結婚が? ラスベガスが?」

「どっちも。だってその二つ掛け合わせたら、どこにも勝てるやついねーじゃん。」

「最強のコンビってやつ?」

「そー。絶対に浮かれポンチのドセレブにしかできないの。そういうの、めちゃくちゃ羨ましくね?だって俺らは『浮』も『ド』もカケラも待ち合わせてないわけよ。そもそもできねーし。」

「ラスベガスは同性婚オッケーだよ。」

「…でもあと『浮』と『ド』が足りんだろ。」

「まぁ。」

 

手の水気をしっかり切り、また新しくアイスコーヒーを入れる為にコップを取り出す。作り置きしている水出しコーヒーが切れそうだ。また新しいのを作っておかなければならない。並々と注がれた液体を片手にソファへ戻ると、洋平は何やら思案しているようだった。定位置の左側に腰掛け、スマホTwitterを開く。今日も世界では色々な事が起こっているらしい。最近は物価上昇が止まる事を知らず、毎回スーパーへ行く際はビクビクしている。株価の相場も見てみたが、相変わらずのようだった。変わらない空間で、目まぐるしく変わってゆく小さな画面を追い続けていると、先程まで深く考え込んでいた様子だった洋平が真っ直ぐこちらを見ていることに気が付いた。

 

「何?」

「もしよ。もしさ、ラスベガスに行こうっていったら、どうする?」

「は?」

「いや、別に今すぐってわけじゃないけど。もし、いつか行けたらの話だけど。」

「いやそりゃ…え、お前本気で言ってる?」

「本気って書いてマジって読むぐらいには。」

「えー…ちょっと待って。あまりにも突破すぎて頭追いついてないわ。」

「ちなみに俺も追いついてない。」

「お前は追いつけよ。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あれ、俺今もしかしてプロポーズされた?」

「え、今?」

 

気付き

Twitter有識者によれば、髪を傷めない工夫の一つとして、ドライヤーの風を冷温交互にすると良いそうだ。それを見た日から、私は馬鹿の一つ覚えのようにそれを実践している。

今日もブリーチでパサパサに痛んだ髪を少しでも良くしようと風を当てていた。(家のドライヤーは父が引っ越し祝いで買ってくれた2500円のもので、まぁ納得の値段であるという性能だ。温風は2段階あるのに対し、冷風は何故か1段階しかない(しかも弱い)。だから冷にする時は仕方なく弱い風で乾かすしかない)

弱く頼りない冷風を当て、その後一気に強風にする。ふと、何となくその工程がどこか見覚えがあるような気がした。何か…こう…緩んでいたものが一気に上げられてビクビクと…なる…………

ハッそうだ 薄い本だ 鬼畜カテゴリに属する部類の時のやつ 中にバイブとか入れられて弱になってたのに急に強にされてイッちゃうやつ 若しくはローターで外出させられてランダムになる設定の場合の強になった時 あんなん本当にあるのかよって割と毎回電車内とか見るけど普通に分からない でも普通に生きてる世界でそんな事が実際にあるかもしれんと考えたらエッチすぎん? えっ エッチすぎる

 

もうええねん

新居に引っ越して1ヶ月が過ぎた。

ボチボチ家具も揃ってきて、ようやくそれなりの生活環境になった。引っ越したのが8月の頭だった為、私も同居人も業者も汗をだらだらかきながら作業をしていたのが遠い昔のようだ。

前の家は2階にあったので、今ぐらいの季節になると毎日窓を開けて寝ていた。秋の夜が大好きで、風や虫の鳴き声を聞きながら眠りにつくのが習慣だった。こちらに引っ越してからは、近くに公園がある事でより音が聞こえるようになり、風もよく入り良いな…と思いながら、ここ最近を過ごしていた。

そんな時だった。その日は朝から気持ちいい秋晴れで、ルンルンで窓を開けて掃除をし、寝る前までそのままだった。今日も虫の音を聴きながら眠りますか…と布団に入る。と、何か蠢くものが視界に入った。何だ?あぁ、羽虫か……羽虫?そういえば昨日も見たな…2匹もいる…。そう思いなんとな〜く壁に目をやる。と、同じ虫が又2匹程張り付いているではないか。これはまさか、いや、でもそんな…。恐る恐る天井の電気を見る。その後は思い出したくもない。部屋に入れず半泣きの私の代わりに同居人が格闘してくれ、とりあえず部屋に湧いていた奴らを退治した。窓を見ると、向こう側にはびっしりといる奴ら…気を失いそうになるのをなんとか耐え、開けられなくなってしまった窓を悲しく見つめ、「知らんからね!また入ってきても!」と忠告する同居人にすまん…と思いながら寝る前の少しだけ窓を開けたのだった。

翌日、網戸用のハエ取りと直接噴射するスプレーを買い、万全の体制で臨む。しばらく様子を見て、網戸に全く付いてない事に安堵しつつ、また窓開けを再開した。これで私の安眠は守られる。窓付近と電気を確認する毎日は終わりだ。俺は羽虫なんぞに負けない…!と思いながら、今しがた窓を見たら、普通に張り付いてたしなんなら部屋に入ってた。何なの?

毎日自撮りをする。

いつ頃からやっているのかもう覚えてない。気づいたら日課のように無音カメラアプリを1日2、3回開くようになっていた。

スッピンでもメイクが崩れていてもお構いなく撮る。カメラ設定はノーマルフィルターで反転無し。私にとって自撮りをするという事は、自己を認識する為の一種の手段なのである。

顔の調子を毎日観察して、撮る前に思い描く自分像とズレがないか確認する。今日は浮腫みが凄い、今日は二重幅が綺麗だ。今日は毛穴が小さくなっている気がする。そうして些細に観察し、私の造形が私たる所以を保っている事に安堵する。

私は私の顔が好きなので、よく鏡の前でキメ顔をし、時にはアイドルのように振る舞う。それがスッピンであっても、しっかり可愛いと思うくらいには私の顔が好きだ。

最近目の下に皺ができた。時々だが、疲れていると出るようになった。初めて見た時はちょっとショックだったが、次の瞬間にはやつれた未亡人みたいな色気、ありますね…とやたらポジティブになる己の思考回路には随分と助けられている。アイクリームは塗るようにした。

三神

長かった三体も、残り下巻後半の半分という所まで来ている。しかしそこまで読んだのが1ヶ月半ほど前にもなるので、若干内容を忘れている。私はいつもそうなのだ。最終話の数話前で止まっている作品がザラにある。

三体と言えば三体人だ。実際に会って「こいつ…直接脳内に…!?」を経験してみたいと思うが、その前に殺されそうなのでやっぱやだ。三体人は嫌だが、三神なら会ったことがある。

あれは母親が再婚した際に、家族のラインに送られてきた文だっただろうか。

「あんた達の昔の事とかを書き留めたものが出てきたから、今度プリントして渡すわ」

そんな事をしていたのか、という驚き。そして、その原稿は私が再婚相手のいる沖縄へ行った時に渡された。

「あんたは末っ子やったけん忙しくて中々書けんやったんよ〜。でも1番スピリチュアルなものが多かったわ。」

スピリチュアル。タイプされた文字を追うと、確かにそんなような事も結構あった。実際に私が覚えているのは、幼い頃死んだひいじいちゃんの47日の際に、仏壇の側にひいじいが立っていたと発言し周りの親戚を驚かせたものだ。しかし、視覚的に覚えているのはそこではなく、帰りの車で窓にもたれかけながら、何故か少し得意げに外を眺めていた所だった。多分、皆から注目された優越感故だと思うが。そういう所は昔から変わらない人間なのだ。

さて、本題の三神だが、母からもらった紙の中に「「仏さんが金の雲に乗って空を飛んでるよ!」と言う」と書かれていた。そう。これだ。正確な年は全く思い出せないが、最初に住んでいた家の駐車場で見た記憶があるので、少なくとも中学生ではない。母と(確か兄と)どこかへ行った帰り、車から降りた瞬間、あまりにも綺麗な夕焼けに皆でしばし立ち止まっていた時だった。雲の多い日だった。その向こうから差し込む金色の光に紛れ、1つ異様に耀く金色の雲が右側からゆっくりと眼前へ現れ出たのだ。そして、その上には3つの影。私の家系は仏教という訳ではないが、何故かその時強く「あれは仏様だ」と思ったのだと思う。その雲は、私が見惚れているうちにゆっくり左へと流れていき、やがて雲に隠れて見えなくなった。私は興奮げに母親へ伝えた(のだろう)が、母は「え、どこどこ?」と言っていた。ような気がする。何故なら、あの光景は私だけの宝物だとずっと心の奥にしまっていたから。幼い私が今の私へ受け継いでいっているものだ。

まあ朧げなので本当に見たのかどうかは定かではない。もしかしたら、私があまりに美しい夕焼けに幻想を見せられていただけなのかもしれない。しかし、十数年の時を経て心の奥にしまってあった宝物は未だにキラキラ輝いていた。パソコンでタイプされた文字でこんな事を思い出すとは夢にも思わなかったが。先程届いた沖縄にいる母からの手紙と、本棚にささってある三体の文字が、ふと私をあの夕焼けの中にタイムスリップさせたのだ。三神さん、今ももし見守ってくださっているでしょうか。今の私には、もうあなた達は見えなくなっているのかしら。

鯖の塩焼き

よく1人でインタビューを受ける。

1人でというのは本当にそのまんまの意味で、自ら質問し、自らが答える。内容は様々だ。好きな音楽、昨日見た映画の批評、最近の近況、何故これ程肉は美味いのか?。

これらは常に行われる。家のみならず、通勤途中、会社のトイレ、服屋の試着室、本当にありとあらゆる所。演者は私のみなので案外気楽だ。元々同居人に私の声かと思ったら風の音だったと言われるぐらいどこにも反響しない声なので、周りに聞かれる事もない。(因みにこれ程の小ささだと電車内で薄く歌っても全く気付かれない)

イマジナリーフレンドともちょっと違う。何故なら常に私はインタビューを受けている側であり、相手はしている側だ。更に、相手は不特定多数で常にぼんやりしている。

しかし、共通していることは「私があらゆる苦痛を成し遂げ何かを達成した後、それを穏やかに語る人物」であること、「それを相手は興味津々で聞いている」事だ。私は自らを讃え、憧憬の目で見つめてくる不特定多数を、菩薩のような揺るぎない目で見つめるのだ。これを毎日している。それも何度も。

過剰な自己陶酔と自尊心の現れだと分かっていながら、それを止める事ができない。実際の私は人と話す際は目も合わせず、吃りがちで全くにこやかではない。常に理想と現実の乖離を感じながら、それでも私と私のインタビューは今日も続くのだ。