三神

長かった三体も、残り下巻後半の半分という所まで来ている。しかしそこまで読んだのが1ヶ月半ほど前にもなるので、若干内容を忘れている。私はいつもそうなのだ。最終話の数話前で止まっている作品がザラにある。

三体と言えば三体人だ。実際に会って「こいつ…直接脳内に…!?」を経験してみたいと思うが、その前に殺されそうなのでやっぱやだ。三体人は嫌だが、三神なら会ったことがある。

あれは母親が再婚した際に、家族のラインに送られてきた文だっただろうか。

「あんた達の昔の事とかを書き留めたものが出てきたから、今度プリントして渡すわ」

そんな事をしていたのか、という驚き。そして、その原稿は私が再婚相手のいる沖縄へ行った時に渡された。

「あんたは末っ子やったけん忙しくて中々書けんやったんよ〜。でも1番スピリチュアルなものが多かったわ。」

スピリチュアル。タイプされた文字を追うと、確かにそんなような事も結構あった。実際に私が覚えているのは、幼い頃死んだひいじいちゃんの47日の際に、仏壇の側にひいじいが立っていたと発言し周りの親戚を驚かせたものだ。しかし、視覚的に覚えているのはそこではなく、帰りの車で窓にもたれかけながら、何故か少し得意げに外を眺めていた所だった。多分、皆から注目された優越感故だと思うが。そういう所は昔から変わらない人間なのだ。

さて、本題の三神だが、母からもらった紙の中に「「仏さんが金の雲に乗って空を飛んでるよ!」と言う」と書かれていた。そう。これだ。正確な年は全く思い出せないが、最初に住んでいた家の駐車場で見た記憶があるので、少なくとも中学生ではない。母と(確か兄と)どこかへ行った帰り、車から降りた瞬間、あまりにも綺麗な夕焼けに皆でしばし立ち止まっていた時だった。雲の多い日だった。その向こうから差し込む金色の光に紛れ、1つ異様に耀く金色の雲が右側からゆっくりと眼前へ現れ出たのだ。そして、その上には3つの影。私の家系は仏教という訳ではないが、何故かその時強く「あれは仏様だ」と思ったのだと思う。その雲は、私が見惚れているうちにゆっくり左へと流れていき、やがて雲に隠れて見えなくなった。私は興奮げに母親へ伝えた(のだろう)が、母は「え、どこどこ?」と言っていた。ような気がする。何故なら、あの光景は私だけの宝物だとずっと心の奥にしまっていたから。幼い私が今の私へ受け継いでいっているものだ。

まあ朧げなので本当に見たのかどうかは定かではない。もしかしたら、私があまりに美しい夕焼けに幻想を見せられていただけなのかもしれない。しかし、十数年の時を経て心の奥にしまってあった宝物は未だにキラキラ輝いていた。パソコンでタイプされた文字でこんな事を思い出すとは夢にも思わなかったが。先程届いた沖縄にいる母からの手紙と、本棚にささってある三体の文字が、ふと私をあの夕焼けの中にタイムスリップさせたのだ。三神さん、今ももし見守ってくださっているでしょうか。今の私には、もうあなた達は見えなくなっているのかしら。